2017年1月29日日曜日

光線

引っ越した部屋で大きい絵を描き始めて一週間。気になっていた畳の上にベニヤ板を敷き詰めた事は、2~3日作業をしているうちに慣れてしまったみたいであまり気にならなくなった。でも光の加減については思っていた以上に違和感がある。日中の作業では窓の数もサイズも違うので部屋に入ってくる光量が違う。夜間の作業では部屋の広さが違うし照明器具の設置場所も違うので、光線の加減が違う。前の部屋で描いていた時と同じように描き進めているつもりでも、いつもと違って見える。あまり悩んでいても仕方がないので、現状で見える状況に従って、よいと思うように描き進めていく。なんとかこの部屋で描く1枚目が今日完成した。最初は慣れない為に数枚完成に至らない失敗が続くかも知れないと思っていたので、出来上がってよかった。以下の写真は8割くらいの時。




















描いた絵を展示する場所は毎回違うし初めての場所もある。だから部屋で見ている時とは当然観え方は違ってくる。なので描いている部屋で観ている状態を「基準」にする必要があるわけ。描いている部屋で「こう観えているなら、どこへ持って行って展示しても『こんなはずじゃなかった』とはならないだろう」って思える基準が。しかしその為には同じ部屋で何枚も描いて、色々な場所で展示してみなければ基準は成り立たない。自分の頭の中に経験によって自然と形作られる「基準」だから。

そう考えるとやはり作業する部屋を変えるって大きな出来事なんだな。あまりこう云う事を書いていると、コダワリ過ぎと思えるかも知れない。僕だって出来ればあらゆる事に鷹揚でありたい。でも部屋の光量(光線)の問題は例えば40歳を過ぎた頃、モノが見え難くなって来て、参ったな〜と思いながら我慢して描いてたんだけど、43歳の時もう無理だと思って老眼鏡を使うようなった。老眼鏡を通してみる世界はそれまでよりあらゆるものが一回り大きく見える奇妙な世界だった。そして極端な云い方をすれば魚眼レンズの様に視界が歪む気がした。それに慣れて絵を描ける様になるまでしばらく時間が必要だったのと同じような事。コダワリ過ぎでは片付けられない描き難さなのだ。