2017年8月10日木曜日

トゥルーバイパス?

暑い日が続く中、この二週間は随分たくさん絵を描いた。現在開催中のquatre saisons 町田店での小さなイラスト展のために。僕は冷房が苦手なので殆ど使わない。日中は文字通り汗だくで机に向かっている。汗が画面に落ちないように気を付けるのも、今ではすっかり慣れてそつなく作業を進められるようになった。快適かどうかと云えばもちろん全く快適ではないのだけど、暑い最中の作画作業はどう云うわけか捗る。快適だといろいろ余計な事を考えるのかも知れないけど、暑くて不快な状況だとそう云う回路がバイパスされて思考に無駄がなくなるのかも知れない。

と云うわけで、半ばヤケクソ気味ながらも楽しく描いたイラストを多数展示しています。是非足を運んでみてください。

8/7(mon,)~8/20(sun,) 2017
西脇一弘 イラスト展 @quatre saisons 町田店
OPEN / 平日10:00~21:00 土日祝10:00~20:30 (不定休)
キャトルセゾン町田:東京都町田市原町田6-1-11ルミネ町田5F
http://www.quatresaisons.co.jp/boutique/machida.html



2017年6月1日木曜日

まぐれと発展

絵を描いていると、たま〜に(1~2年に一回くらい?)なんとなく描いた一部分が思いがけず良い効果を得られる時があって、あ、もう一度同じ事が出来ないだろうか?とやってみるんだけど、殆ど無意識に作業していた中から予想外に得られた効果なので、うまく再現出来ず、結局一回限りの「まぐれ」になってしまう事がある。先日作業をしていたら、2年ほど前の「まぐれ」と同じ効果が、再び得られて今度こそはと注意深く、その時していた作業をもう一度同じ手順で繰り返してみたら、今度はうまく行った。なぜその「効果」が得られたかちゃんと説明出来る手順を理解出来た。よ〜し、これで「まぐれ」ではなく、必要に応じて使える「技法」になったわけね。ちょいと大げさな云い方になってしまったかも知れないけど、自分にとっては嬉しい収穫になったのだ。

現在岡山のヒバリ照ラスと云うお店でイラスト展開催中です。最終日にはsakanaのライブもあります。
お近くの方は是非足を運んでみてください。

5/19(fri,)~6/11(sun,) 西脇一弘イラスト展
ヒバリ照ラス 1F HIBARI STORE open / 11:00~23:00
〒700-0822 岡山県岡山市北区表町2丁目7-15
http://hibari-t.com

以下の日程でsakanaのライブもあります。

6/10(sat,) 広島 西条公会堂
開場 18:30 開演 19:00 前売¥2,800 当日¥3,300 (ドリンク別)
*ご予約、お問い合わせは以下まで、お名前、人数、連絡先をお知らせください。
西条公会堂:Saijokokaido@gmail.com tel / 082-422-5321
*西条公会堂でも小さなイラスト展を開催中です。
広島県東広島市西条岡町10-24 第10内海ビル2F

6/11(sun,) 岡山 ヒバリ照ラス (個展のクロージングイベント)
開場 19:00 開演 19:30 前売¥2,800 当日¥3,300 (ドリンク別)
*ご予約、お問い合わせは以下まで、お名前、人数、連絡先をお知らせください。
ヒバリ照ラス:info@hibari-t.com tel / 086-230-2833
〒700-0822 岡山県岡山市北区表町2丁目7-15
http://hibari-t.com

























2017年3月28日火曜日

相変わらず部屋で絵を描いていて、

技術的な面で時々思うこと。例えば何気なく描いた一本の線がとてもよい塩梅だった。でもあまりに何気なくだったので線が途中で少し擦れてしまった。上から二度、三度、なぞって線のよいニュアンスを損なわないように筆を重ねてみる。ヨシ、ヨシ、ヨシッと。この三度目の「ヨシ」が余分だった。線が濃くなりすぎて折角のよいニュアンスが失われてしまった。僕はこう云う場合たいていは絵具が乾かないうちに拭き取ってもう一回同じことをやり直す。やり直すと最初の「何気なさ故のよいニュアンス」を再生することは出来ないけれど、やり過ぎた重ね塗りよりはマシな状態に復元してその作業を終える。こう云うことは絵を描いていると度々ある。そしてこう思う。「余計なことまでせずにおく事」は重要な技術だなと。

絵であれなんであれ「前回より少しでもよいものを」と取り組めばどうしても「やらずに済ませてしまった失敗」より「やり過ぎてしまった失敗」が多いのは否めない。あと一歩のところで「やらずに済ます」のはとても難しいけど、「あそこでやめておけばよかった」と云う後悔も随分経験してきたので、最近はほんの少しやり過ぎを回避出来るようになった気がしている。こんな事を書いていると、なんだか自分が年寄りっぽく思えてイヤなんだけど。


2017年3月7日火曜日

連作

前作の人物をほぼ同じ構図のまま、角度と表情を少し変えてもう一度描いてみる。こう云う連作は今までにも何度か描いた事があるけど案外難しい。同じ人物のつもりで描いていても気が付くと違う人になっている時がある。「違う人」「同じ人」の基準は自分の中に在るだけのものだから曖昧なんだけど、でも描いている自分が「そう思えるかどうか」はやっぱり重要。同じ人物が瞬間にみせる表情の機微を描いてみたいと思ったのだから、違う人になってしまったら失敗なんだよね。以下の写真は7割程度。この時点ではまだ「違う人」にはなっていない。

2017年2月11日土曜日

描けないものはたくさんあるけれど

起きた時それほど寒いとは感じなかったけど午後から雪が降る。雪景色を描こうと思ったことはない。これからもきっと思わないだろうな。どう見たって美しいから、美しいことについて考える必要がないので、と気持ちだけの話にしておけば、なんとなく風流な話になるんだけど、実のところあまりにも難しくて描く気になんかなれない。


2017年1月29日日曜日

光線

引っ越した部屋で大きい絵を描き始めて一週間。気になっていた畳の上にベニヤ板を敷き詰めた事は、2~3日作業をしているうちに慣れてしまったみたいであまり気にならなくなった。でも光の加減については思っていた以上に違和感がある。日中の作業では窓の数もサイズも違うので部屋に入ってくる光量が違う。夜間の作業では部屋の広さが違うし照明器具の設置場所も違うので、光線の加減が違う。前の部屋で描いていた時と同じように描き進めているつもりでも、いつもと違って見える。あまり悩んでいても仕方がないので、現状で見える状況に従って、よいと思うように描き進めていく。なんとかこの部屋で描く1枚目が今日完成した。最初は慣れない為に数枚完成に至らない失敗が続くかも知れないと思っていたので、出来上がってよかった。以下の写真は8割くらいの時。




















描いた絵を展示する場所は毎回違うし初めての場所もある。だから部屋で見ている時とは当然観え方は違ってくる。なので描いている部屋で観ている状態を「基準」にする必要があるわけ。描いている部屋で「こう観えているなら、どこへ持って行って展示しても『こんなはずじゃなかった』とはならないだろう」って思える基準が。しかしその為には同じ部屋で何枚も描いて、色々な場所で展示してみなければ基準は成り立たない。自分の頭の中に経験によって自然と形作られる「基準」だから。

そう考えるとやはり作業する部屋を変えるって大きな出来事なんだな。あまりこう云う事を書いていると、コダワリ過ぎと思えるかも知れない。僕だって出来ればあらゆる事に鷹揚でありたい。でも部屋の光量(光線)の問題は例えば40歳を過ぎた頃、モノが見え難くなって来て、参ったな〜と思いながら我慢して描いてたんだけど、43歳の時もう無理だと思って老眼鏡を使うようなった。老眼鏡を通してみる世界はそれまでよりあらゆるものが一回り大きく見える奇妙な世界だった。そして極端な云い方をすれば魚眼レンズの様に視界が歪む気がした。それに慣れて絵を描ける様になるまでしばらく時間が必要だったのと同じような事。コダワリ過ぎでは片付けられない描き難さなのだ。

2017年1月25日水曜日

手順

以前から度々思っている事だけど、絵を描いていて最も重要だなと思うのは「手順」これは、例えばイエローオーカー(黄土色)のジェッソで地塗りをしてから、メディウムで薄く溶いた絵の具で下地が透けるように描く、、と云うような大雑把な手順だけではなくて、もっと細かな筆の運びなども含まれる。対象を逆光で見ている場合など、対象全体を覆うように濃い影が出来た場合、首から肩にかけてと顎から首にかけて、どちらの部位に先に影を入れるのが効率がよいか?とか、そう云う事。筆の運び方と云うのは、アカデミックな美術教育を受ければ、たぶん言及される事なんだろうけど、僕はそう云うのに全く縁がないまま今まで描いて来たので、人から教わる機会はなかった。でも一人で勝手に試行錯誤していても、こうやって重要だと思う事なんだから、きっと先人が優れた手本を多く残しているんだろうと思う。

例えばルーベンスやベラスケスは、僕の様に無知なものでも優れた技術を持った画家として歴史に名を残しているのを知っている。流麗で無駄のない筆の運びは滑らかでキラキラした光を放つ描写に優れている。近年の画家ならボレマンスはベラスケスに倣った優れた技術を習得している事で知られている。

レンブラントは筆の運びの不器用な画家だと思う。深く沈殿する様な画面の中に「やり直し」の痕跡が多い(と自分には見える)。だから洗練された画面ではないけれど、独特の感動的な陰影は試行錯誤しながら描いた「あの感じ」から生まれたものかも知れない。

だから「手順」が重要と云うのは、何も「洗練されて要領よく」出来ているのがよい、と云うような単純な事ではなくて、絵の仕上がり、その絵が放つ「何か」に対してとても影響が大きいと云いたかっただけ。まあ当たり前の事だったかも知れません。